家系を護る田分けブログ
「相続対策は家が滅べば意味が無い、家系・先祖・子孫を護ることが最優先である」

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2019.07.20更新

「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」  髙橋史朗著 致知出版 2014年版からの引用です。

 最近「絆のある社会」とよくいいますが、絆の意味が十分には理解されていないのでは、と思うことがあります。本来の「絆」(ほだし、きずな)とは、馬が逃げないように縛り付けるロープを意味しています。つまり、絆とは束縛することを意味しているのです。

曽野綾子さんが平成二十四年一月一日の産経新聞の「正論」という欄で、その件を非常に明確に指摘しておられます
「絆の第一歩は、年老いた親や親戚縁者や友人を、災害の時には引き受けることだろう。そもそも、絆の基本は、親と同居することだ」
「絆はそれによって得をするものではない。相手のすべての属性を受け入れることだ。(中略)美点も難点もすべて受け入れることが、絆を大切に思う姿勢というものだろう。絆を求める心が、自分になにかを与えてくれる人を期待しているとしたらそれは間違いだ」
「絆は、むしろ、苦しむ相手を励まし、労働によって相手を助け、親切に語り、当然金銭的な援助さえもすることなのである。受けるだけの関係など絆ではない。むしろほんとうの絆の姿は、与えることなのである。自分が与える側に廻ることを覚悟するとき、人は初めて絆の中に立つ」
「ほんものの絆は、相手のために傷つき、血を流し、時には相手のために死ぬことだ(中略)絆は自分の利益のために求めるものではない。むしろ自分の安全や利益などを捨てた時に、人間は絆の深さを示して輝くのである」「悲惨な地震と津波が濃密な現世に引き戻した、としたら、それは我々の人間性復活のための大きな贈り物と考えたい」
 今は「子ども手当」をあげましょう、育児と介護は社会が担いますよ、というようなものが絆のある社会だと誤解されているのです。つまり、足りないものを社会に求め、求めたものが与えられるのが絆のある社会だというふうに誤解されている。でも、それは絆の意味を取り違えていますよと。この曽野さんの指摘は非常に鋭いものがあります。(次回へ続く)

投稿者: 税理士法人あけぼの

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