家系を護る田分けブログ
「相続対策は家が滅べば意味が無い、家系・先祖・子孫を護ることが最優先である」

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2014.02.26更新

★家系を護ることは、日本を護ること、NHKは何を護っているのかな?。
★NHK・日本放送協会は、国民のためのものと思っていたが、「日本の社会を崩壊させる洗脳機関」であるとある人に言われたが・・・。そんな馬鹿なと思っていたが、私自身が次の質問をNHKにした。

◆白柳が平成26年2月9日にNHKにメールで質問をしました。
 朝ドラの「ごちそうさん」を見ていますが、食事のシーンで戴きますと言うときに「合掌」をしないで食べています。戦前のドラマですので当然「合掌していただきます」ではないでしようか。

◆NHKからの回答
  いつもNHKの番組やニュースをご視聴いただき、ありがとうございます。
また、連続テレビ小説「ごちそうさん」をご覧いただき、誠にありがとうございます。
食事の前に手を合わせていない、というご指摘ですが、時代考証の結果、この動作が広まったのは戦後であるということです。戦前に全くなかったとは考えませんが、一般的なのはきちんとひざに手を置いての「いただきます」であったということでした。
今後とも「ごちそうさん」をよろしくお願いいたします。連続テレビ小説「ごちそうさん」担当

◆白柳の見解  ・・・・最近NHKは日本の国民の洗脳をやっているように感じています。
 食事の際の挨拶は、一般に日本で広く知られているのは、食材となった動植物に対しての感謝の言葉であるというものである。食材である生き物の植物や動物の命を絶ち調理し、それらの命をもらって、それを食べる人間が自分の命を維持し生存することの感謝を表すこととしている。それら生き物たちが、彼らの命を我ら人間にお布施として与えてくれるとする。食前は「戴きます」、食後は「ご馳走さま」と言い、いずれも合掌と共に言うのが仏教が広まっていた日本の常識であった。
 この日本の伝統的な感謝の心や作法を壊そうとするが、NHKの洗脳だと思えてしまうのです。

●NHKの反日的な報道の実態を調べてみて下さい。いくらでも出てきます。
 日本国民が洗脳されていると思うと、怖くなってきます。誰が仕掛けているのか?、

□BSプレミアムについて。BS歴史館の予告をしておりました。「聖徳太子は存在したのか?」だそうです。近年の研究により聖徳太子が架空の人物である説が出てきたとか。近年とは何時から(ある隣国と歴史の共同研究をする前から)なのか?どんな研究なのか?その説を出してきた研究者の国籍は?聖徳太子は記述や法隆寺などの史跡は多いと思うのですが、NHKはどういうつもりなのかと思います。国営放送が反日だなんて放送権剥奪にならないのが不思議です。

□NHKの番組で、日本人に自虐史観を植えつける洗脳(サブリミナル)を行っていた事件。平成24年に放送されたNHKスペシャル JAPANデビュー「アジアの一等国」。その内容構成の偏向ぶりが問題となっているが 、実はオープニングにもある意図が隠されていた。「サブリミナル」という禁じ手を使ってまでNHKが刷り込もうとしたメッセージとはいったい何だったのか?

□NHKスペシャル「アジアの一等国」をめぐる問題で、番組に登場した台湾人の元医師が、「日本のよいところも話したのに放送されたのは悪いところだけ。NHKに利用された」などと、一方的な放送姿勢を批判している。この番組に対しては日台友好団体などから「反日台湾を印象づけるためとしか思えない」との抗議も上がっており、元医師の証言は注目を集めそうだ。

投稿者: 税理士法人あけぼの

2014.02.22更新

★金持ちが何代も続くための「原理原則・法則」の話の具体例です。
   「商家の家訓」 山本眞功 監修  青春出版社 185ページより抜粋します。

◆公共事業には資力を惜しむ勿れ   公益・慈善の勧奨


虚栄心でなく、誠意を以って行え
徳を郷里に与えることは祖先伝来の教訓である。陰徳を施し公共慈善の事業には進んで財を投ぜよ。(岡山の豪農で銀行を設立した土居家)

社会の公益を計り、慈善を尽くし教育を奨励すべきこと。
世の富者を見るに、ややもすれば蓄財に走って、社会公益の何たるかを知らず、あるいは他人を苦しめて独りだけ利益を得て、世の指弾を受けても全く意に介することのない者がいる。
また表面上は社会のために尽くし、あるいは慈善を行っているように見えても、実際にはただ虚栄心にかられ、虚名を買おうとしているだけの者がいる.

前者が咎められなければならないのは当然だが、後者もまた一人の偽善者にすぎない。
すべては公益を図り、慈善を尽くすことを第一に、心より湧き出てくる誠意に基づいていなければならない。(湖北長浜の下郷家)

いまあげたような、公共事業や慈善事業の奨励も商家の家訓によく見られるものである。
実際、歴史上には公共の利益のため、惜しげもなく私財を投じた商家が少なくない。
「日本一の大地主」本間家や、「日本の造林王」土倉家がその代表といえる。

越後の大地主、市島家も不文家憲で教える
本間家と並ぶ大地主といわれたのが、越後の豪農・豪商であった市島家だ。

元々家業は、小さな薬屋だったが、商才に恵まれた喜右衛門が大薬問屋に成長させる。
「日本三大金持ち」の一人にも数えられた市島家。代々伝わる不文家憲のなかに、質素倹約の奨励、謙譲の徳の涵養などとともに、公共事業に関するシンプルな教えがある。
公共事業には資力を惜しんではならない。

市島家がこの家訓をどのように実践したかを見てみよう。
天明六年(一七八六)、幕府の下総手賀沼開拓事業に二千両を献上。この功によって名字帯刀を許され、三人扶持を受けた。
江戸城西の丸炎上の際には五百両を献じ、本丸建築にも五百両を献上した。ほかにも品川湾の砲台建設に千五百両を投じ、学校建設や貧民救済などにも多額の寄付をした。
市島家の代々当主は家訓通り、公共事業に資力を惜しむことはなかったわけだ。
この点においても、本間家と双壁だったといえる。

投稿者: 税理士法人あけぼの

2014.02.10更新

★金持ちが何代も続くための「原理原則・法則」があるみたいです。
 いろんな事を知れば知るほど、やっていることは同じですね。


◆お金持ちには、二通りあります。
 子孫も代々永遠にお金持ちの人と、途中で転落してしまうお金持ちです。
これは、「お金持ちになる原理原則・法則」を実践しているかどうかということのようです。
「お金持ちになる原理原則・法則」を実践していれば、永遠のお金持ちであり、そうでなければ一時はお金持ちになっても、転落してしまうようです。

どこででも、いつの時代にも語り継がれていますが、「お金持ちの原理原則・法則」とは、お金を尊び、お金に感謝し、そして「布施・喜捨」の心を持つことのようです。
キリスト教でも仏教でも「寄付したお金は、何倍にもなって、やがて還ってくる」という教えがありました。

◆何も宗教的な話しをするつもりはないのですが、このことは、お金持ちであり続ける人たちの、当たり前の話なのだということを知っていただきたいのです。

◆金持ちは寄付をする
 「お金持ちは皆、寄付をしている」という話があります(寄付をしない金持ちは、転落する金持ちといえます)。そして、彼らはお金持ちになる前から寄付をしているのです。
寄付とはつまり、「先に与える」ということですが、先に与えた結果として、自分が儲かっていく。

お金が流れるとは、お金が「入るけど出る」ということですので、貯めたりしてはいけません。たくさん儲けてたくさん使う、ということが「お金の流れ」に入るということです。

寄付とお金の流れの因果関係は、きちんと解明は出来ないので不明なのですが。出て行ったお金が何倍にもなって戻ってくる。そんなバカなことが信じられるでしょうか?
しかし「宇宙の法則」としか言いようがありません。お金持ちは皆そうしていて、結果が返ってきているのです。

●佛教では、布施(ふせ)は、梵語では「檀那(旦那)(ダーナ、दान)」といい、慈悲の心をもって、他人に財物などを施すことで、六波羅蜜(仏に成るための修行、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧が、六波羅蜜)のひとつであります。

●キリスト教は、仕事も今の人生も神様から与えられたと考えます。だから今の人生や仕事に感謝して、その10分の1を神様にお返しする。このように考えて寄付を実行しています。

●イスラム教は、神に仕える者の徳目として自由な喜捨を推奨していた。ザカートは、イスラム教の五行の一つで、困窮者を助けるための義務的な喜捨を指す。「今日のあなたに財産を成すようになったのは、全てアッラー(の意志・働きかけ)に依るもの(その個人だけでは何ひとつ成し得なかったではないか)」故、同様に帰依する者たちへ、分け与える(ことを信仰の証とする)もの。

◆全て感謝が基本で、まず人に施すのが先にあるようです、私も実践をします。

投稿者: 税理士法人あけぼの

2014.02.03更新

★家族、親子が仲良くしないと、家が続かない。
 親子が仲良くなるのは、子供に親の若いときの体験を話すときです。


現代の親子はなぜ仲良くないか。
子供と親の断絶は何が原因か・・・
 同じ体験をしていないことが大きいのです。
親子で野球チームに通っていたり、親子で同じ趣味を持ったり、親子で同じ事をしている家庭は、仲が良いのです。

一緒に体験をすれば、親は子供のことを理解し、子供は親の体験を素直に評価し、尊敬もします。
会話が同じ土俵の中に在ります。
家族全員が、同じ事で話が出来るのです。

◆今更同じ趣味ももてないし、今更一緒に何かをしようとしても、とても無理、そんな家庭も絶対に同じ土俵の会話が出来ます。それは親の若い頃の話をすることです。

◆子供の誕生日に、子供の写真を見せながら、両親の子供の頃の写真、恋愛時代の写真や、祖父母の子供の頃の写真を見せよう。結婚当時からの子供の成長の話をしよう。

◆どの家庭も、恋愛から結婚、そして喜びの出産から育児の写真があります。
子供達は自分の成長の話を聞きながら、両親の苦労話を自分たちの今の生活と合わせながら聞くはずです。
家族の歴史は、全員が共通の会話となります。
両親の昔の写真をみんなで見よう。
お爺ちゃんやお婆ちゃんの写真を見ながら、昔話を聞こう。
お父さんやお母さんの恋愛時代の話を写真を見ながらしよう。

まずは子供達の出産からの写真を見せれば良い、自分の子供の頃の写真は、親の愛情を感じる事が出来る、最も身近な思い出です。

◆子供の誕生日をもっと祝おう。
誕生日には、子供の成長を喜んで昔の写真やビデオを見よう。
子供の誕生日を祝ったなら、お爺ちゃんやお婆ちゃんの誕生日も盛大に祝おう。

◆いつも写真が見られるように、昔の写真やアルバムを居間に置き、あちこちに飾ろう。

◆親子の断絶は、同じ会話が出来ないこと、同じ事を一緒に体験していないことです。
親は子供に勉強しなさいとしか言わない。子供の問題点を叱ることしかしない。
一緒に喜んだ体験がないのです。
でも一緒に喜んだ体験はあったのです。ただ忘れているのです、思い出せば良いのです。
大事なことは、親子が一緒に刻んだ歴史を思い出し、その時一緒に笑ったことを思い出せば良いのです。一緒に過ごしたときの写真やビデオを見よう。
誕生日を祝って、家族の歴史を見直しませんか。

投稿者: 税理士法人あけぼの

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